電球の世界へようこそ【3】
照明の進化には、いつの時代も人々の暮らしが密接に関わってきました。
白熱電球、蛍光灯、そして今や当たり前になったLED照明。
今回はそのLED、すなわち発光ダイオードという光源がどのように登場し、今の私たちの生活を照らす存在になったのかを、少し深く掘り下げてみたいと思います。
発光ダイオード(LED)の誕生の裏には日本人科学者たちがいた
発光ダイオード(Light Emitting Diode:LED)は、電気を流すと発光する半導体素子です。
実はそのルーツは意外と古く、1960年代には赤色LEDがすでに実用化されていました。しかしこの頃は、文字通り“赤い点”のような微弱な光しか出せず、用途は限られていました。
その後、緑色LEDの開発が進み、
そして決定的なブレイクスルーとなったのが「青色LED」の誕生です。
1990年代、日本の3人の研究者、赤崎勇氏・天野浩氏・中村修二氏によって実現されたこの技術は、赤・緑・青という「光の三原色」が揃ったことで、白色光を合成できるようになり、LEDは一気に照明の主役へと駆け上がっていきました。
2014年、彼らはその功績によってノーベル物理学賞を受賞しました。
今の、LED発展の裏には、日本の科学者たちの功績があったからなのです。まさに、光の革命が起こったのです。
技術の発明があったからといって、それがすぐに私たちの生活に根づくわけではありません。
そこには「商業化」という、また別のドラマがあります。
発光ダイオード(LED)誕生と商業化の流れ
まず最初が、1962年にニック・ホロニアックによって開発された赤色LEDでした。
当初は表示装置やインジケーターとして利用されていましたが、その後の技術革新により、青色や白色のLEDが開発され、照明用途への道が開かれました。
街の看板、車のヘッドライト、家庭のダウンライト、スマートフォンのバックライトに至るまで、
「明るく、長寿命で、消費電力が少ない」LEDは、瞬く間に私たちの身の回りの“光”を塗り替えていきました。
LEDの商業化においては、複数の企業が重要な役割を果たしました。特に、オランダのSignify(旧フィリップスライティング)、韓国のサムスン電子、日本のパナソニックなどが、技術開発と市場展開をリードしました。
カラキネ社(現Philips Color Kinetics社)とLEDの商業化
この分野で重要な役割を果たしたのが、カラキネ(CREE Inc.)社です。
アメリカ・ノースカロライナ州に本社を構えるこの企業は、もともと半導体開発を得意とする会社でしたが、1990年代からLED技術の実用化・高輝度化にいち早く取り組みました。
特にSiC(炭化ケイ素)基板を活用したことで、効率的で耐久性に優れたLED素子の量産が可能になり、照明やディスプレイ用途への展開が急速に広がったのです。
街の看板、車のヘッドライト、家庭のダウンライト、スマートフォンのバックライトに至るまで、
「明るく、長寿命で、消費電力が少ない」LEDは、瞬く間に私たちの身の回りの“光”を塗り替えていきました。
カラキネ社の画期的な制御システムの特徴
画期的な制御システム、快適な使用感により、建築物のファサードを活用した大型プロジェクションマッピングや、テーマパークの夜間ショーなど、さまざまな分野で採用されて、同社の技術は、視覚的な演出の、新たな地平を切り開き、LED制御の発展に大きく貢献した会社でした。
続く
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